松江城のみどころ


松江城天守は2015年に国宝に指定されました。
そもそも、松江城って、何がすごいの??

お城はなんのためにあるの?

その昔、争いごとが起こり、あらゆる財産、そして人の命が奪われるようになりました。そこで大事な財を守るため、敵から身を守るための建造物や土木施設ができました。これがお城のはじまりです。つまりお城は防衛施設であり軍事基地です。お城と聞いて石垣や天守を想像するかもしれませんが、これらは中世から近世城郭の歴史の中に現れたお城の姿。それ以前は土塁や堀、塀や柵、門や櫓などでもお城と言っていました。13世紀から16世紀にかけての中世(鎌倉時代から室町時代)で全国に3万から4万あったと言われています。


近世城郭を代表する国宝天守

松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。
現存天守は江戸時代またはそれ以前に建てられ、壊れることなく現代に姿を残す特別な存在なのです。その中でも、慶長16年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。


なんで現存天守は少ないの?

全国にたくさんあったお城が現在12城しか残っていないのには主に3つの要因があげられます。

壱:一国一城令(1615年)
読んで字のごとく、1つの国に1つの城しか認めず、あとは廃城せよという御触れ。城の数を制限することで、諸大名の武力を抑制するのが目的。

弐:廃城令(1873年)
明治維新以後、新政府が軍用として使用する以外は破却せよという御触れ。城内の建築物は民間に払い下げられ、その多くは取り壊された。

参:第二次世界大戦(1945年)
1939〜1945年まで6年間続いた第二次世界大戦。なかでも太平洋戦争は日本全土が戦火に見舞われ、空襲で多くの城が焼失した。


松江城すごいところランキング

広さ:第2位(12天守中)

高さ:第3位(12天守中)

見た目の派手さはないですが、落ち着いた佇まいで歴史情緒が感じられるお城なのです。


城用語のご紹介

現存天守 江戸時代かそれより前に建てられ、現在まで保存されている天守のこと。
全国に12ある現存天守のうち松江城を含む5つが国宝。
天 守 天主、殿守などと表記されることも。お城の中核になる一番大きな建物。松江城が国宝なのはこの天守。高い位置から遠くを監視したり、戦の際に城主が指揮を執るための場所でもある。お城=天守と思われがちだが天守はお城の一部。天守を持たないお城もある。
お 城 もともとは敵の攻撃を防ぐための防衛施設。天守だけではなく周りを巡るお堀や入口の門、石垣、櫓など敷地全部まとめて「お城」。江戸時代に入り平和になると権力の象徴、政治の拠点などとなった。
本 丸 お城は曲輪がいくつか重ねられた形で構成されていて、本丸は城の中心になる曲輪のこと。松江城の天守があるのも本丸。
曲輪(丸) 石垣や土塁などで区分けされたお城の区画のこと。曲輪(くるわ)のほかに丸(まる)とも。松江城も本丸、二之丸、後曲輪などとお城の中にもいろいろな呼び方の区画がある。
二之丸 松江城では本丸の次に重要な曲輪だった。松江城ができた当時には藩主のお屋敷が建っていたといわれている。
鯱(しゃちほこ) 屋根の両端にいる魚に似た屋根の装飾品。2つで1つ。想像上の虎の頭を持ち体は魚という空想の生き物。「火事になったときに口から水を吹く」と言われていて、火事から建物を守ってくれる魔除けとしておかれている。松江城の鯱は左右で大きさが違うが大きいほう(俗に雄)は2.08mあって現存する木造の鯱の中では一番大きい。同じ意味合いで懸魚(屋根の三角の間に下がっている魚をモチーフにした装飾品)がある。
望楼型天守 入母屋屋根をもつ櫓の上に望楼(物見櫓)をのせた形の天守。初期の天守に多く見られる構造で松江城もこの望楼型の天守と言われている。後期の天守では、下の階から上の階へ大きさが規則的に小さくなる層塔型の天守が主流となっていった。
複合式天守 天守に別の櫓がくっついている形の天守のこと。天守本体に入るのにこのくっついている建物を通らないと入れないため、敵の進入を阻む目的がある。松江城も入口に「附櫓(つけやぐら)」がついているのでこの複合式の天守である。
御 殿 お殿様は天守にすんでいた、と思われがちだが、実は天守は有事の際にしか使われていなかった。実際にお殿様が生活していたのが「御殿」。松江城は、二之丸と平地の三之丸(現在の県庁あたり)にそれぞれ御殿があった。