城郭


大手・馬溜り・大手門跡

お城の入口に松江開府の祖 堀尾吉晴公の像が建つ。
大手から城内に入ると馬溜りがあり、隠れるところがなく、戦時には侵入した敵を大手門や高石垣上の塀の狭間から鉄砲や矢で集中的に狙い撃ちする場所である。
大手門は現存していないが、かつては2階建ての櫓門式で全国最大級の大きさだったと言われている。


外曲輪(二之丸下ノ段)

本丸東側、最下段の曲輪で、中曲輪の下にあり外曲輪ともいわれる。
藩の米を蓄える米蔵が置かれていた。
米蔵の南側に天守鍵預役宅と御破損方・寺社修理方があった。
現在は、江戸時代風の木造建築で建てられたぶらっと松江観光案内所千鳥茶屋が建てられている。
天守に向かって行く階段(本坂)の途中にハートの石垣を見ることができる。
大手門跡を過ぎた正面のナンジャモンジャは5月が見頃となる。


二之丸

平成13年(2001)に3つの櫓(太鼓櫓・中櫓・南櫓)と瓦塀が復元された。
明治に御殿など取り壊された後、明治31年に松江神社が明治36年に皇太子(後の大正天皇)山陰行啓の際の御座所となる興雲閣が建てられた。


本丸

お城の最上段。
天守があり江戸時代には複数の櫓もあった。
武者走りをもつ細長い多門櫓が各櫓を連結し防御を固めていた。
初期には本丸に御殿、御台所、御薬蔵もあったとする資料が残っている。
桜が植えられており3月末から4月にかけて、お花見が楽しめる。


椿谷(後曲輪)

周囲に立派な塀、土塁をめぐらすなど、西を守る重要な曲輪であった。
刀の手入れ用油を得るために椿を植えたと言い伝えられている。
明治時代には南側に火力発電所があり、跡地には石碑がたっている。
3月から5月にかけて椿なんじゃもんじゃが咲く。


三之丸

江戸時代には藩主のための御殿が建ってた。
現在は島根県庁が建っている。
南側に松平直政公の像がある。


松江護国神社(北之丸)・馬洗い池

本丸の北側、かつての北之丸と呼ばれ、築城時に堀尾吉晴が仮の御殿を築いていた場所と言われている。現在は松江護国神社が鎮座している。
北之丸の東側に築城時から残る馬を洗うための池が馬洗い池
池のほど近くの水の手門跡から本丸へ上がることができる。


城山稲荷神社

松平直政が夢枕のお告げを聞いて創建されたという逸話がある。
10年に一度行われる日本三大船神事ホーランエンヤの起点となる神社。
多くの狐の像があり、ここを詣でるのを日常とした小泉八雲の愛した狐の像も見ることができる。


城への入り口の橋

お城の玄関、大手前以外に江戸時代から脇虎口門跡につづく北惣門橋、搦手虎口へつづく稲荷橋、江戸時代は三之丸から藩主が使う屋根付きの御廊下橋だった千鳥橋がある。昭和に椿谷に隣接する亀田橋が架けられた。


石垣

「野面積み」と「打ち込み接ぎ」(全体の6割)という石積み手法。
石垣積みは、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要したと云われている。
松江城は5年間で完成したが、そのうち3年間を石垣に費やした。
石垣積みは、穴太頭二人が穴太衆(一族)・子供衆(見習い)を従え、石工は大阪から招き石垣を構築した。
石垣に目印などのために刻印が彫られているものがある。
大手筋では二之丸へと上がる階段の踊り場で見ることができる。

*穴太衆(あのうしゅう)とは
石垣築成集団
穴太とは地名(滋賀県大津市穴太)。この地には中世から近世にかけ石垣の築成に優れた技能を持った達人がいた。松江城の石垣もこの「穴太衆」が招かれ築成した。

石垣の刻印は松江城攻略コースで楽しむことができる。


塩見縄手

松江城の北にある江戸時代の雰囲気を残す通りで、日本の道100選に定められている。
武士の暮らしを見ることができる武家屋敷小泉八雲が生活していた小泉八雲旧居や、作品・生涯などを紹介している小泉八雲記念館なども見学できる。